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:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+: 埋められた月*1 :+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+:+: 昔々、わたしのばあさんの時代は、カーランド*2のあたりは沼地やら、大きな黒い水たまりやら、気持ち悪い緑色の水やら、足を踏み入れればじゅくじゅく水がしみ出てくるような泥やらばかりだったんだ。 でね、ばあさんはよく言ってたんだよ。自分が生まれるずっと前、月が命運尽きて沼の中に埋められたことがあるって話を。その頃よく聞いてたふうに、あんたにもすっかり話してあげるとしよう。 そのころも、空のお月さんは、今と変わらず照り輝いていた。 だが月が照ってないときは、闇に潜むやつらが悪さのタネはないかと嗅ぎ回るんだ。子鬼だのズルズル這うやつだの、月が照ってないときにみんなのさばり出して来た。 さて、月ってのはやさしく善良な 言葉たがわずその月の終わりに、黒い外套に身をくるみ、黄色く輝く髪には黒いずきんをかぶせて、彼女は下界におりた。まっすぐ沼のほとりに向かい、あたりを見回してみると、そこら中、水また水だ。草むらは波うち、泥はブルブル震え、大きな黒い古木*4はみんなすっかりひん曲がっている。目の前は真っ暗だった。水たまりに映るチラチラした星の光と、黒い外套から漏れる光が自分の白い足元を照らすほかは、まったくもって真っ暗だった。 月は、外套をしっかり閉じて身震いしたが、何が起きてるのかすっかり見届けるまで引き返すつもりはなかった。だから彼女はそのまま歩みを続けた。夏の風のように軽やかに、茂みから茂みへと、ゴボゴボ言う水たまりの間を縫ってね。ところが、ある大きな黒い水たまりに近づいたとき、足が滑ってあやうく転びそうになった。体を支えようと近くの古木を両手で掴んだんだが、その古木に触れると、木が自分から手錠みたいに手首にからまりついて、彼女は動けなくなってしまった。引っ張ったり捻ったり懸命にやってみたが、そんなの効きやしない。彼女は身動きが取れず、その場に留まらなければならなかった。 そうしたまま暗闇の中、助けが来るものか不安を感じながら震えて立っていたら、遠くで何かの呼び声が聞こえた。呼び声、また呼び声、そしてその声はすすり泣きで消えていき、やがて沼は哀れな泣き声でいっぱいになっちまった。そうするうちに、泥の中でピシャピシャやったり茂みに足を滑らせてもがく足音が聞こえ、闇を通して、ひどくおびえた目をした白い顔が見えた。 そいつは沼地で迷っちまった男だった。恐ろしさでわけが分かんなくなって、助けが得られそうなチラチラする光に向かってもがき進んでたんだ。気の毒な月が見たときには、その男は少しずつ道から離れ、深い穴に近づいていた。彼女はそいつの身を案じるあまり気もふれんばかりになって、これまでよりも懸命に手を引き抜こうともがいた。すると、抜け出すことこそできなかったんだが、身をよじったりひねったりしているうちに黒いずきんが後ろにずれて、黄色く輝く髪がこぼれ出し、そこから射す美しい光が闇を追い払った。
男の方はというと、再び光を見ることができたものだからもう嬉し泣きだった。化け物どもはすぐさま暗い隅っこへ逃げ込んだ。やつらは光に耐えられないからね。そんなわけで、男は自分がどこにいるか、道がどこにあるか、どうすれば沼から抜け出せるかを知ることができた。ところがこいつは、沼地に潜む生き物やら小鬼*5やら化け物から逃げだそうとあんまり急いだもんだから、この頼もしい光が、黄色く輝く美しい髪から黒い外套の外へ流れ出し、自分の足元の水辺にまでやって来たなんてことは、てんで見ちゃいなかった。そして月自身も、そいつを救おうとするのに必死だったから、そいつがちゃんと道に戻れたのに嬉しくなってしまい、自分も助けが必要なことや、自分が黒い古木にがっしり囚われていることなんてすっかり忘れちまってた。 そして、男は行ってしまった。疲れてあえぎながら、よろめき嬉し泣きしながら、恐ろしい沼から命からがら逃げ出した。そのときになって月は、あいつにここから連れ出してもらいたかったことを思い出した。彼女は気が狂ったように懸命に手を引き抜こうとしたが、やがてもがくのにも疲れ果て、古木の根元に膝をついた。そして、彼女がそこに伏して息を切らしているうちに、黒いずきんが彼女の頭にかぶさっちまった。恵みの光は消え失せ、闇が戻ってきた。金切り声やうなり声をあげた化け物どもをみんな引き連れてね。そいつらは彼女をぐるりと取り囲み、あざけるわ、掴みかかるわ、打ち据えるわ。怒りやら恨みやらで金切り声をあげるわ、ののしり声だのうなり声だのをあげるわ。やつらは、 「よくも、うぬめが!」魔女は叫んだ。「うぬのせいで、わしらの呪文はこの一年ちっとも効かぬわ!」 「うぬのせいで、わしらはいつも隅でおとなしくせねばならんじゃったぞ!」小鬼どもはこうわめいた。 他の連中もみんな「ホ、ホゥ!」と声をそろえ、その声の大きさときたら、草むらが揺れ水が波うつほどだった。そして連中はまた月を責め立て始めた。 「こやつに毒を - 毒を盛るのじゃ!」魔女は叫んだ。 化け物どもはまた「ホ、ホゥ!」とわめく。 「こやつの息を詰まらせろ - 息を詰まらせるんじゃ!」地を這うやつらはそうささやいて、彼女の膝のまわりで身をよじらせた。 他の連中が「ホ、ホゥ!」とあざけり笑う。 そして、こいつらはまた、悪意と邪念のこもった雄叫びをあげた。気の毒な月は身をかがめ、もう何もかも終わりにしたい*6と願った。 連中は、 こうして哀れな月は、沼の中に埋められて一巻の終わりさ。誰かが解放してくれるまで、それは続くんだ。だが、彼女の居場所が誰にわかるってんだい? さて、日が過ぎて月が新たにやって来る日になり、人々はポケットに小銭、帽子には藁しべを入れて*?、彼女が来るのを待ちかねていた。沼のほとりの人々にとって、月は大切な友達だった。みんな、そりゃあ喜んでいたのさ。暗い時間がなくなり、道を安全に歩くことができ、恵みの光のおかげで化け物どもが暗闇や水たまりの中に追いやられるのがね。 しかし、何日過ぎても、月が新たにやって来ることはなかった。夜は暗いだけのものになっちまって、化け物どもはこれまで以上に悪さをやらかした。それから何日も過ぎたが、やはり月が新たにやって来ることはなかった。そうなると当然、哀れな人々は妙な具合で不安だし戸惑った。そこで、みんなして古い粉ひき小屋に住む占い婆さん*8のところに行き、月がどこに行ったのか見つけることはできないかと尋ねた。 「はて」壺を覗き込んだり、鏡を見たり、本に目を通した末に彼女は言った。「まったくおかしなもんじゃがね、お月さんに何が起こったか、あたしにもはっきりしたことがわからんのよ。おまえさん方で何か聞いたら、あたしに教えとくれ」 一同は引き返した。そして何日も過ぎたが、やはり月は姿を見せない。いきおい連中のする話はこのことばかりになった - そりゃ、そうさね! 連中は、それはそれは話をしたとも! 家でも、酒場でも、庭先でも、うわさ話ばかりさ。だが、そんなある日、一同が酒場で雁首そろえていたときのことだ。沼地の端っこの方に住むある男がタバコをくゆらせ話を聞いていたら、突然身を起こして、はたと膝をうったんだ。「俺はボケナス*9だ!」そいつは言った。「すっかり忘れちまってた。俺は知ってたよ、月の居所を! 間違いない!」そして、その男は沼地で道に迷ったこと、恐怖のあまり死にかけていたら光が射し、道が見つかって無事に家に戻れたことを話した。 そこで一同は、占い婆さんのところへ出向き、このことを話した。彼女はもう一度、壺を覗き込み本に目を通すと、うなずいた。 「まだ暗い、まだまだ暗いねぇ!」彼女は言った。「はっきりとは見えんの。だがまあ、あたしの言うとおりにして、後はあんたらが自分で見つけるんだ。夜が深くなる前に、あんたらみんなで行くんじゃよ。口の中には石を入れて*10、手にはハシバミの枝*11を持っての。無事に家に帰るまで、一言も口をきいちゃいかんよ。そしたら心配はいらん、沼の真ん中へ歩いて行くんじゃ。 そこで次の夜、まだ薄暗がりの中、一同はそろって出かけた。みんな、口には石を入れ、手にはハシバミの枝を持ってね。気分はどうかって、まあ見当はつくだろうが、そりゃあ恐ろしく不気味な思いだったさ。 沼の真ん中を通る道をみんなしてこけつまろびつ進んでいくと、目には何も見えなかったが、ため息だのコソコソする音だのが耳に入ってきたし、冷たい湿った指が体に触れるのもわかった。でも、棺とロウソク、それに十字架を探し回っているうちにいつの間にやら、月が埋められている、大きな古木のそばにある水辺に近づいていたんだ。そして、いくらも経たないうちに、一同は恐れおののき戸惑いながら立ち止まった。そこには、水から半分顔を出した巨大な石があり、異様な姿の大きな棺にそっくりだった。そのてっぺんには黒い古木が枝を左右に広げて立っていて、身の毛もよだつような十字架の姿をしていた。そして、その十字架には、小さな光が、消えかかったロウソクのように揺らいでいた。一行は泥の中に膝をついて「主よ」と唱えた。最初は前を向き、十字架に向かって。その次に後ろを向いて、小鬼どもを遠ざけるために。だが、口に出して言ったんじゃないよ。占い婆さんが言ったとおりにしないと、化け物どもに捕まっちまうってことはみんなわかってたから。 一同は近づいて、その大きな石を抱え、押しのけた。後になってその連中が言った話だと、一分かそこらの間は、暗い水の中から風変わりだが美しい顔が連中の方を嬉しそうに見上げているのが見えたんだそうだ。だが、光があんまり急に、あんまり白く輝き出したもんで、目がくらんで後ずさりしちまった。そして、次に連中の目がきくようになったころには、空に満月が浮かんでいたんだ。昔と変わらず、明るく綺麗にやさしく輝いて、みんなに向かって微笑んでいた。沼や小道は昼間のように明るくなり、暗い隅っこにも光が入り込み、それはまるで
==== NOTES ==== * 2007.7…3月の稿を改訂。細部を調べ直し、注を拡充。ほか、全体にわたって微調整。* 2008.1…表現の細かな調整。 *1 埋められた月…The Buried Moon。ジョゼフ・ジェイコブズ (Joseph Jacobs: 1854-1916) によって採録された民話集 "More English Fairy Tales" に収められている一編。 この前に編まれた "English Fairy Tales" は、「三匹の子豚」、「ジャックと豆の木」などが収められた、英国のおとぎ話集の草分けとも言える存在。その功績は大きく、ジョゼフ・ジェイコブズを「英国のグリム」と称する人もいる。 ジェイコブズはこの本の序文で、この民話集の表現手法は実際の話者の語り口、あるいは自分の乳母が話してくれたような語り口に倣ったと述べている。多少なりともその雰囲気を出そうと、ほんのり粗めの語り口調で訳してみた。 作品については、奇妙と言うか異様と言うか。一読忘れがたいものがある。英語版の Wikipedia によると、英国東部の沼沢地域に伝わる話には異様なものが多いそうだ。 余談になるが、『ドリトル先生と月からの使い』に「昔々、まだ月がなかった頃・・・」と始まる話が出てくる。そのドリトル先生が住んでいるところも英国の「沼のほとりのパドルビー」である……(ただし、パドルビーは英国西部のシュロップシャー近郊がモデルらしい。深読みが過ぎたか)。 *2 カーランド=Carland。Google Map で "Carland UK" を引くと北部アイルランドの町が出てくるのだが、英語版の Wikipedia によると、リンカンシャー州 (英国東部) で採話されたものとのこと。 *3 各地の神話では月を女神とするものが多いが、この物語でも月が「女性」として描かれている (女神ほど庶民から遠い存在ではなく、日本の氏神様くらいな印象を受ける)。 その一方、ヨーロッパにはマザー・グースなどで知られる、月を「狂気」の象徴と見る系譜もあるのだが、このおとぎ話ではその様相はほとんどなく、月はむしろ理性的である。 *4 古木=snag。辞書には第一義として「沈み木」とあるのだが、必ずしも水中に沈み込んでいる木だけを指すのではなく、"photo of snag" とか "picture of snag" で検索してみると水中から突き出た木や水辺に立っている朽ちかけた古木といったものが多い。英国の古い絵本で、ねじくれた不気味な姿の木を時折目にするが、あれをイメージしてもらえばよい。 *5 小鬼=bogle, bogy。ボギーは悪さをする妖精のイギリスにおける総称 (英和辞典では「お化け」と出ていることが多いが、英国妖精学的には悪辣な妖精といった感じ)。ボーグルはスコットランドでの呼称らしい。水木しげる著『妖精画談』(p98) を見ると、角も生えているから「小鬼」ということで (ま、姿はいろいろあるそうだし、いろんなもんに化けたりもするそうだが)。 *6 "dead and done with" や "dead and buried" は、日常で使う成句としては「全部片が付いた」「すっかりおしまい」くらいの意味。当初、字面の通り「死」という言葉を含めて訳出していたが、やはり少し無理があるように感じて抑えるようにした。ただし、"dead and buried" では「埋める」のニュアンスを出すようにしている (…実際、沼の中に埋めているので)。 *7 鬼火=Will-o-the-Wykes。"Will-o-the-Wisp" という表現がよく知られているのだが、英国東部では"Will-o-the-Wykes"と呼ぶそうだ。鬼火については他にも "Jack-o-Lantern"、"Ignis Fatuus" などなど異名がたくさんある。 それはさておき、鬼火の数え方は一匹、二匹…でよいのだろうか? *8 占い婆さん=Wise Woman。産婆さんで妖術なども行うとされる村の老女。当初「物知り婆さん」としていたが表現を改めた。 *9 ボケナス=My faicks。faicks は fikes とも綴られ、原意は「落ち着きがない」、「人に面倒をかける」などの意。まあ、いろいろ訳しようはあると思うが、こんなところで。 *10 口の中には石を入れて→"put a stone in your mouth"。うかつに言葉をしゃべらないようにするための手段なわけだが、「ろれつが回らない(speak as if there were stone in one's mouth)」という慣用句が想起され、少しおもしろい表現。日本語だと、意味はずれるが、「奥歯に物を挟んどきなさい」とでも言われる感覚に近いかもしれない。(ひょっとすると、この地域の慣習や言い伝えに由来するだけなのかもしれないが、こういう解釈もできるということで)。 追記: ボッカチオの『デカメロン』で、声色を変えるために「小石を口の中に入れる」という記載があった。ヨーロッパではありふれた物言い/慣習だったのかも。 *11 ハシバミは、ケルト神話などでは空間を探る力があるとされる。ちなみに、ハシバミ(セイヨウハシバミ)の実が「ヘーゼルナッツ」で、これも知恵の実とされる。 *? 「人々はポケットに小銭、帽子には藁しべを入れて」="the folk put pennies in their pockets and straws in their caps"。この地域でこういう習慣があったのだと思うのだが、詳細や由来は調べが付かなかった。
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