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埋められた月*1
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昔々、わたしのばあさんの時代(ころ)はね、カーランド*2のあたりは、沼地やら、黒い水のでかい池、ヌルッとする緑色の水に、足を踏み入れりゃじゅくじゅく水がしみ出す泥。そんなのばかりだったんだ。

で、ばあさんがよく言ってたのさ。ばあさんが生まれるずっと前のこと、月が命運尽きて沼の中に埋められたことがあるって話を。あの頃ばあさんがよく話してくれたみたいに、おまえさんにもすっかり話してあげるとしよう。


そのころも、あの高いとこにあるお月さんは、今と同じように輝いてた。(かのじょ)*3が光ってくれりゃ沼地は明るく照らされて、ほとんど昼間みたいに安心して歩くことができた。

だが月が光ってないときは、闇に潜んでたやつらが悪さのタネはないかと嗅ぎ回るんだ。子鬼だのズルズル(うごめ)くやつだのはみんな、月が光ってないときにのさばり出して来た。

さて、月ってのはやさしく善良な(たち)だ。-そりゃ、そうさね。自分は眠りもせず、夜中にわたしらを照らしてくれるんだもの-  だから、このことを聞いてえらく困っちまった。「私が自分で確かめてみるとしよう」月は言った。「みなの言うほどひどくはないかもしれぬ」。

言葉たがわずその月の終わり、黒い外套に身をくるみ、黄色く輝く髪には黒いずきんをかぶせて、月は下界におりた。まっすぐ沼のほとりに向かい、あたりを見回してみると、そこら中、水また水。草むらは波うち、泥はブルブル震え、大きな黒い古木*4はみんなすっかりひん曲がっている。目の前は真っ暗。水たまりに映るチラチラした星の光と、自分の白い足が輝いて黒い外套から漏れ出る光のほかは、まったくもって真っ暗だった。

月は外套をしっかり閉じて身震いしたが、何が起きてるのかすっかり見届けるまで引き返すつもりはなかった。だから月はそのまま先へと進んだ。夏の風のように軽やかに、茂みから茂みへと、ゴボゴボ言う水たまりの間を縫ってね。ところが、ある大きな黒い池に近づいたとき、足が滑ってあやうく転びそうになった。体を支えようと近くの古木を両手で掴んだんだが、その古木に触れると、木が自分から手錠みたいに手首にからまりついて、動けないようつかまえてしまった。引っ張ったり捻ったり懸命にやってみたが、そんなの効きやしない。月は身動きが取れず、そこに留まらなきゃならなくなった。

そのまま暗闇の中で、助けは来ないかと不安で震えて立っていると、遠くで何かを呼ぶ声が聞こえた。呼び声、また呼び声。やがてその声はすすり泣きに変わり、しまいには沼は哀れな泣き声でいっぱいになった。そうするうちに、泥の中でピシャピシャやったり茂みに足を滑らせてもがく足音が聞こえ、闇を通してひどくおびえた目をした白い顔が見えた。

それは沼地で道に迷った男だった。恐ろしさでわけが分からなくなって、助けてもらえやしないかとチラチラする光に向かってもがき進んでいたんだ。さて、気の毒な月が見たときには、その男は少しずつ道から離れ、深い穴に近づいていた。月はその男の身を案じるあまり気もふれんばかりになって、もうがむしゃらに手を引き抜こうともがいた。すると、抜け出すことこそできなかったが、身をよじったりひねったりしているうちに黒いずきんが後ろにずれて、黄色く輝く髪がこぼれ出し、美しい光が射して闇を追い払った。




男の方はというと、光をまた見ることができたもんだから、もう嬉し泣きさ。化け物どもはすぐさま隅っこの暗いところへ逃げ込んだ。やつらは光に耐えられないからね。さて、こうして男は自分がどこにいるか、道がどこにあるか、どうすりゃ沼から抜け出せるかを知ることができた。ところがこの男は、沼に住む生き物や小鬼*5や化け物から逃げだそうとあんまり急いだもんだから、てんで見ちゃいなかったんだ。この頼もしい光が、黄色く輝く美しい髪から黒い外套の外へ流れ出し、自分の足元の水辺まで照らしてくれたってことを。そして月自身も、その男を救おうと必死だったから、男がちゃんと道に戻れたのが嬉しくなって、自分も助けが必要なことや、自分が黒い古木にがっしり囚われていることなんてすっかり忘れちまってた。

そして、男は行ってしまった。疲れ果ててあえぎながら、よろめいて嬉し泣きしながら、恐ろしい沼から命からがら逃げ出した。そのときになって月は、あの男にここから助け出してほしかったことを思い出した。月は気が狂ったように懸命に手を引き抜こうとしたが、やがてもがくのにも疲れ果て、古木の根元に膝をついた。そうして月が身を伏して息を切らしていると、黒いずきんがずり落ちて頭にかぶさってしまった。恵みの光は消え失せ、闇が戻ってきた。金切り声やうなり声をあげた化け物どもをみんな引き連れてね。そいつらは月をぐるりと取り囲み、あざけるわ、掴みかかるわ、打ちすえるわ。怒りや恨みで金切り声をあげるわ、ののしり声だのうなり声だのをあげるわ。やつらは、月が昔からの敵で、自分たちを隅へ追いやり、悪だくみを妨げてきたと知ってたんだ。

「よくも、うぬめが!」魔女は叫んだ。「うぬのせいで、わしらの呪文はこの一年ちっとも効かぬわ!」

「うぬのせいで、わしらはいつも隅っこでおとなしくせにゃならんじゃったぞ!」小鬼どもはこうわめいた。

他の連中もみんな「ホ、ホゥ!」と声をそろえ、その声の大きさときたら、草むらが揺れ水が波うつほどだった。そして連中はまた月を責め立て始めた。

「こやつに毒を - 毒を盛るのじゃ!」魔女は叫んだ。

化け物どもはまた「ホ、ホゥ!」とわめく。

「こやつの息を詰まらせろ - 息を詰まらせるんじゃ!」ズルズル(うごめ)くやつらは小声でそう言って、月の膝のまわりで身をよじらせた。

他の連中は「ホ、ホゥ!」とあざけり笑う。

そして、こいつらはまた、悪意と(よこしま)な思いのこもった雄叫びをあげた。気の毒な月は身をかがめ、もう何もかも終わりにしたいと願った。

連中は、月にどんな仕打ちをしたものかで言い争ったり喧嘩をしていたが、そうするうちに空に薄日が射し始め、夜明けが近くなった。それを見ると連中は、恨みを晴らす時間がなくなっちまうんじゃないかと不安になった。そこで、やつらは恐ろしい骨張った指で月をつかむと、古木の根本の水辺に深く沈めてしまったんだ。小鬼どもは変な形の大きな石を運んできて、月が浮かび上がってこないように載せた。そのうえで、二匹の鬼火*7に、この黒い古木を交替で見張るように命じた。月をこのまま囚えておけるように、逃げ出して自分たちの気晴らしのタネがなくなったりしないようにとね。

こうして哀れな月は、沼の中に埋められて一巻の終わりさ*6。誰かが解放してくれるまで、それは続く。だが、月の居場所が誰にわかるっていうんだい?


さて、時が過ぎ、月が新たにやって来るはずの日になった。村人はポケットに小銭、帽子には藁しべを入れて*?、月が来るのを待ちかねていた。沼のほとりの人々にとって、月は大切な友達だった。みんな、それはそれは喜んでいたのさ。暗い時間を過ごさずにすんだり、夜道が安全になったり、恵みの光が化け物どもを暗闇や水たまりの中に追いやってくれるのがね。

しかし、何日過ぎても、月が新たにやって来ることはなかった。夜は暗いばっかりのものになり、化け物どもはこれまで以上に悪さをやらかした。さらに何日も過ぎたが、やはり新しく月がやって来はしない。哀れな村人は当然、どうもおかしいと不安になり戸惑った。そこで、みんなして古い粉ひき小屋に住む占い婆さん*8のところに行き、月がどこに行ったのか見つけることはできないかと尋ねた。

「はて」壺を覗き込んだり、鏡を見たり、本に目を通した末に婆さんは言った。「何とも妙なことじゃがね、お月さんに何が起こったか、あたしにもはっきりしたことがわからんのよ。あんたらの方で何か聞いたら、あたしに教えとくれ」

一同は引き返し、それから何日も過ぎたが、やはり月は姿を見せない。いきおい連中のする話はこのことばかりになった - いやはや、連中がどんだけ話をしたことか! 家でも、酒場でも、庭先でも、うわさ話ばかりさ。だが、そんなある日、一同が酒場で雁首そろえていたときのことだ。沼地の端の方に住むある男がタバコをくゆらせ話を聞いていたんだが、突然身を起こして、はたと膝をうったんだ。「俺はボケナス*9だ!」男は言った。「すっかり忘れちまってた。俺は知ってたよ、月の居所を! 間違いねぇ!」そして、その男は沼地で道に迷ったこと、恐ろしさのあまり死にそうになっていたところに光が射し、道が見つかって無事に家に戻れたことを話した。

そこで一同は、占い婆さんのところへ出向き、このことを話した。婆さんはもう一度、壺を覗き込み本に目を通すと、うなずいた。

「まだ暗い、まだまだ暗いねぇ!」婆さんは言った。「はっきりとは見えんがの。だがまあ、あたしの言うとおりにして、そっから先はあんたらが自分で見つけるんだ。夜が深くなる前に、あんたらみんなで行くんじゃよ。口の中には石を入れて*10、手にはハシバミの枝*11を持っての。無事に家に帰るまで、一言も口をきいちゃいかんよ。そしたら心配はいらん、沼の真ん中へ歩いて行くんじゃ。(ひつぎ)とロウソク、それに十字架が見つかるまでずいっとな。そこまで来たら、お月さんのいるとこからそう遠くない。よく探しゃ、見つからんこともなかろうて」

そして次の夜、まだ薄暗がりの中、一同はそろって出かけた。みんな、口には石を入れ、手にはハシバミの枝を持ってね。気分はどうかって、お察しの通り、恐ろしいわ不気味だわひどいもんさ。 沼の真ん中を通る道をみんなしてこけつまろびつ進んでいくと、目には何も見えなかったが、ため息やらコソコソする音が耳に入ってきたし、冷たい湿った指が体に触れるのもわかった。それでも、棺とロウソク、それに十字架を探し回っているうちにいつの間にやら、月が埋められている大きな古木のそばの水辺に近づいていたんだ。それからいくらも経たないうちに、一同は面食らって恐れおののき立ち止まった。そこには、水から半分顔を出した巨大な石があり、異様な姿の大きな棺にしか見えなかった。そのてっぺんには黒い古木が枝を左右に広げて立っていて、身の毛もよだつような十字架の姿をしていた。そして、その十字架には、小さな光が、消えかかったロウソクのように揺らいでいた。一行は泥の中に膝をついて「主よ」と唱えた。最初は前を向き、十字架に向かって。その次に後ろを向いて、小鬼どもを遠ざけるために。だが、口に出して言ったんじゃないよ。占い婆さんが言ったとおりにしないと、化け物どもに捕まっちまうってことはみんなわかってたから。

一同は近づいて、その大きな石を抱え、押しのけた。後になってその連中が言った話だと、ほんのわずかの間、暗い水の中から風変わりだが美しい顔が連中の方を嬉しそうに見上げているのが見えたんだそうだ。だが、光があんまり急に、あんまり白く輝き出したもんで、目がくらんで後ずさりしちまった。そして、次に一同の目がきくようになったころには、空には満月が浮かんでいたんだ。昔と変わらず、明るく綺麗にやさしく輝いて、みんなに向かって微笑んでいた。沼や小道は昼間のように明るくなり、隅っこの暗いところにも光が入り込み、それはまるで、月が暗闇や小鬼どもをできるもんならみんな追っ払っちまおうとしてるみたいだったとさ。



"The Buried Moon" from "More English Fairy Tales" by Joseph Jacobs
Translated by kaol,n.


Project Gutenbergの電子テキストを底本としました。
挿絵も同じ場所で提供されている画像を転載しました。

この訳文については、Creative Commons クレジット表示 非営利目的の利用 許諾条件の継承 に従って、ご自由にご利用ください。この条件の範囲内であれば、訳者に使用許諾を求める必要はありません。クレジットとしては、編纂者の「ジョゼフ・ジェイコブズ」(Joseph Jacobs) と訳文が http://forthewicked.jpn.org/BuriedMoon.html にあることを示していただければ十分です (訳者のハンドルは変わる可能性があるため、記載不要です)。





==== NOTES ====

* 2007.7…3月の稿を改訂。細部を調べ直し、注を拡充。ほか、全体にわたって微調整。
* 2008.1…表現の細かな調整。
* 2010.4…全面的に文章を見直し。


*1 埋められた月…The Buried Moon。ジョゼフ・ジェイコブズ (Joseph Jacobs: 1854-1916) によって採録された民話集 "More English Fairy Tales" に収められている一編。
この前に編まれた "English Fairy Tales" は、「三匹の子豚」、「ジャックと豆の木」などが収められた、英国のおとぎ話集の草分けとも言える存在。その功績は大きく、ジョゼフ・ジェイコブズを「英国のグリム」と称する人もいる。

ジェイコブズはこの本の序文で、この民話集の表現手法は実際の話者の語り口、あるいは自分の乳母が話してくれたような語り口に倣ったと述べている。多少なりともその雰囲気を出そうと、この訳文には少し粗めの語り口調を用いてみた。

作品については、奇妙と言うか異様と言うか。一読忘れがたいものがある。英語版の Wikipedia によると、英国東部の沼沢地域に伝わる話には異様なものが多いという。

余談になるが、『ドリトル先生と月からの使い』に「昔々、まだ月がなかった頃・・・」と始まる話が出てくる。(ただし、アフリカに伝わる話としての言及だし、ドリトル先生が住む「沼のほとりのパドルビー」は英国西部のシュロップシャー近郊がモデルとのことで、直接の関連はない。ロフティングがこの民話を知っていた可能性はあるかもしれないけれど)。


*2 カーランド=Carland。Google Map で "Carland UK" を引くと北部アイルランドの町が出てくるのだが、英語版の Wikipedia によると、リンカンシャー州 (英国東部) で採話されたものとのこと。


*3 各地の神話では月を女神とするものが多いが、この物語でも月が「女性」として描かれている (「女神」というほど神々しくはなく、庶民にも親しみやすい印象を受ける)。
また、マザー・グースなどで知られるように、ヨーロッパでは月を「狂気」の象徴と見ることも多い。だが、この民話ではその様相はほとんどなく(二度ほど「気のふれたように」という表記があるのみ)、月はむしろ理性的である。


*4 古木=snag。辞書には第一義として「沈み木」とあるのだが、必ずしも水中に沈み込んでいる木だけを指すのではなく、"snag" をイメージ検索してみると水中から突き出た木や水辺に立っている朽ちかけた古木といったものが多い。英国の古い絵本や挿絵で、ねじくれた不気味な姿の木を時折目にするが (アーサー・ラッカムなど)、あれをイメージしてもらえばよい。


*5 小鬼=bogle, bogy。ボギーは悪さをする妖精のイギリスにおける総称 (英和辞典では「お化け」と出ていることが多いが、英国妖精学的には悪辣な妖精といった感じ)。ボーグルはスコットランドでの呼称らしい。水木しげる著『妖精画談』(p98) を見ると、角も生えているから「小鬼」ということで (いろいろな姿に化けたりもするそうだ)。


*6 原文は "dead and buried" で、日常で使う成句としては「全部片が付いた」「すっかりおしまい」くらいの意味。実際に沼の中に埋めているのに掛けた表現。ここではあえて「埋める」という語を使って訳出した。


*7 鬼火=Will-o-the-Wykes。"Will-o-the-Wisp" という表現がよく知られているのだが、英国東部では"Will-o-the-Wykes"と呼ぶそうだ。鬼火については他にも "Jack-o-Lantern"、"Ignis Fatuus" などなど異名がたくさんある。
なお、鬼火の数え方は一匹、二匹…とした。より適切な序数詞があるなら、ご教示いただきたい。


*8 占い婆さん=Wise Woman。妖術などを行うとされる女占い師。なお、wise womanで産婆さんを指すこともある。老人と決まっているわけではないようだが、本稿では訛りのきつさ等から「婆さん」とした。


*9 ボケナス=My faicks。faicks は fikes とも綴られ、原意は「落ち着きがない」、「人に面倒をかける」などの意。


*10 口の中には石を入れて→"put a stone in your mouth"。うかつに言葉をしゃべらないようにするための手段なわけだが、「ろれつが回らない(speak as if there were stone in one's mouth)」という慣用句が想起され、少しおもしろい表現。日本語だと、意味はずれるが、「奥歯に物を挟んどきなさい」とでも言われる感覚に近いかもしれない。
追記: ボッカチオの『デカメロン』で、声色を変えるために「小石を口の中に入れる」という記載があった。ヨーロッパではありふれた物言い/慣習だったのかもしれない。


*11 ハシバミは、ケルト神話などでは空間を探る力があるとされる。ちなみに、ハシバミ(セイヨウハシバミ)の実が「ヘーゼルナッツ」で、これも知恵の実とされる。



*? 「人々はポケットに小銭、帽子には藁しべを入れて」="the folk put pennies in their pockets and straws in their caps"。この地域でこういう習慣があったのだと思うのだが、詳細や由来は調べが付かなかった。



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